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zoom RSS 白銀坂  昔の面影は皆無坂

<<   作成日時 : 2013/12/17 08:25   >>

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たびたび登場する白銀坂
シラカネサカ  シラガネザカ と濁点つけるか否かで少々聞こえが違う。
ここは江戸時代、明治初頭まで薩摩の主街道でもあった。
明治天皇が鹿児島に来るということで、新たに新道ができたのである。それが今の国道10号線。別名磯街道ともいう。10号線沿いに薩摩藩の別邸があり、その付近を磯という。磯街道の由来はそこかもしれない。この磯街道、10号線は姶良から鹿児島市まで海沿いに走り、海岸まで近いところは5mの近距離にある。
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12月2日(月)
自分にとっては休日で、午前中は小雨で昼からは青空が覗いた。ホウレンソウの種子を蒔き、さて、今から何をしようかと思いたったのが白銀坂である。家からバイクで20分。さっと行き、さっと登り、さっと帰ればいいやと軽い気持ちで、さっと家を出発した。
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平日でもあり、雨後で岩の上は滑り易く、一部はぬかるんでいる。こういう日は登る人なんていないと思ったが何と3組、9人と出会った。
物好きは自分一人ではないらしい。いささかホットする感じもする。『おい(俺)ひとりじゃなか。ほかんしもおったい(他のひともいるのだ)ものずいじゃっど(物好きだ』
会うたびに自分の中で相手を小バカにしたに言葉が出そうになる。自分に対してでもあるが。最近、変わりつつある自分に気づく。年を重ねるとともに。こいじゃいかんのだが。
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白銀坂は『坂』という文字がつくが山を登り降りる感じである。姶良側から一気に登るとすぐに急な登りになる。初めての人は余りの急傾斜のためにビックリすると思う。胸が地面に近づく感じであるから。昔の人々は、ここをどういう気持ちで行き交ったのだろうか。そう思うと心身とともに相当強く、少々なことではへこたれなかったのであろう。
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昔の石畳が色濃く残っているのは、姶良側の方である。大勢の人々が行き交う山中であるから、傾斜地は大小様々な石を敷いて雨からの崩壊を防いだのであろう。山肌に沿ってものの見事に敷き詰めている。大きい一つの石畳みは、1.6m×1.0mのものをある。
ここを登る度に思うのだが、当時の人々とともに歩を進めている感じがする。
「フーーフーーフーー」息づかいあらく、時には「フーーツ!まこてきつい坂じゃいなぁ〜〜」とグチをいいながら。昔の人々の息づかい、ときには話し声が聞こえるのである。

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白銀坂は、薩摩でもにぎやか坂のひとつであったろう。何故なら城下に入るには必ずここを通らねばならなかった。そう思うと当時の人々がすぐ近くに感じるから不思議な空間である。士、農、工、商、へだたりなく、牛も馬も通り、ときにはお殿様の行列、忍びの者、幕府の隠密が。1日の通行人は相当な数にのぼったであろう。茶店も2〜3軒はあってもおかしくない。この白銀坂を守る警護人、人々が通り易く整備する人夫、また詰所。こう考察すると際限なく思いは広がり、もし自分がタイムスリップできたならば、1日中途中の岩に座り通行人を見続けるだろう。
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
今は誰も通ることのない、旧街道、旧奥州街道、旧日光街道など歩くと、昔の人の難儀が判りますね。私もタイムスリップして、旅人を見ていたい気持ちになりました。
What's up?
2013/12/17 10:16
コメントが遅くなり申し訳ありません。
ここを毎回踏破するたびに、昔の人々の生活の息づかいが聞こえてくるようです。
一歩一歩進むたびに力強く感じます。
What’s upさんへ
2014/01/09 10:06

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