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zoom RSS 妙円寺 詣り と関ヶ原の戦い

<<   作成日時 : 2013/10/31 12:21   >>

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鹿児島三大行事の一つです。

現在の岐阜県関ヶ原町。
天下統一を果たした豊臣秀吉は慶長3年(1598年)に病で倒れました。
秀吉の死後の政権を巡り、慶長5年(1600年) 9月15日、午前8時に決戦の火ぶたが切られました。

石田三成を中心とする西軍8万4千人と、徳川家康を中心とする東軍7万4千人、総勢15万8千人で全国の大名を2分する決戦が起こりました。

これが『天下分け目の戦い』ですよね。
4時間余りが経過し、劣勢の徳川家康は形勢挽回を策し、非常の手段を取ったのです。

かねて内通を約束していながら日和見的な西軍の将、子は小早川秀秋(1万5千人、秀吉の甥)の陣に鉄砲を放ったのです。

≪寝返りで形成逆転≫

家康の怒りにおののいた秀秋は、仰天して西軍の陣に襲い掛かったのです。
これで勝敗は一瞬にして逆転し西軍は壊滅。

薩摩の島津勢は西軍に加勢しました。
このとき戦場に取り残された島津の兵は1千余りで、前面には家康の率いる東軍の主力、背面には井吹山と、どう動いても島津勢の全滅は避けがた状況でした。

≪前に退く、最後の賭け≫

このときさすがの戦神と呼ばれた島津義弘も、討ち死の覚悟をします。
しかし、甥の豊久や家老の阿多長寿院の進言もあって「敵中突破」を決断します。

@名門島津の誇りを守ること。
Aこの先待ち受けている、家康の戦後処理に備えなければならないこと。
そのためには、「西国に島津あり」の雄姿を家康に見せなくてはと思い、最後の賭けに出たのです。

≪不眠不休の山中突破≫

島津勢は豊久らを先頭に敵中へ。
突破を敢行する島津勢を目のあたりにした、東軍の武将 福島正則らに「敵ながらあっぱれ」と言わしめました。

しかし、次から次に押し寄せる東軍の兵は如何ともしがたく、烏頭坂(岐阜県 大垣市)で殿(しんがり)を務めた豊久が、同じく阿多長寿院も牧田で壮絶な最後を遂げました。

その後島津勢は三日三晩追ってと戦い、山中を駆け抜け、関ヶ原から大阪まで二百数十キロを踏破し堺から脱出して薩摩に帰りつきました。そのときの兵はわずか80人余りでした。壮絶な帰還であったことが伺えます。

≪島津家だけ無傷の領国安堵≫

戦後、家康は三成らを処刑し、西軍に加担した大名のお家取り潰しなどの処分を行います。
しかし、大名のうちで領国を守り切ったのは島津家だけでした。

何故か
@島津家の粘り強い交渉
A朝鮮の役の島津勢の大活躍
B島津勢の決死の敵中突破
C薩摩藩を通じての琉球貿易
D家康の征夷大将軍に地位を早く望んでいたため、致し方ない処置

私はCが強いと思います。
遠国の薩摩までは監視は難しく、薩摩藩の支配下にある琉球列島は、任せた方が運上金も多いと算段した。
黒糖とか東南アジアの珍名品も入り易かった。

≪今に生かそう、敵中突破の精神≫

妙円寺詣りは、苦闘の末敵中突破を果たした義弘公を偲び、泰平の世に士気を鼓舞し、心身の鍛錬をするため、40キロの道のりを往復します。
2日間において、武道大会、郷土芸能、ウォークラリーなど15万人ほど超す人出でにぎわいます。








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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
千人が八十人しか残ら無かった戦いは壮絶を極めたでしょうね。でもその犠牲者が薩摩藩をお取り潰しから救ったのでしょうね。維新の戦争も薩摩藩からすれば、リベンジの気持ちがあったのでしょうかね。
What's up?
2013/10/31 13:58
ノンキーハイカーズさんへ
お早うございます。西軍の総大将の毛利家も残りましたね。この時毛利と島津を処分しておけば明治維新はなく、徳川は安泰だったのに・・、勝海舟が言ったとか言わなかったとか、歴史は面白いですね。
ひょうすけ
2013/11/01 03:54
おはようございます。
コメントが遅くなり申し訳ありません。
プログを再更新いたします。

いいところをついていますね。
さすがWhat’s up さんだと思います。
リベンジ  そうかもしれませんね。
What’s upさんへ
2013/11/19 08:32
おはようございます。
コメントが遅くなり申し訳ありません。
プログ再更新です。宜しくお願いします。

毛利家!
そうでしたね。
外様藩が中心になり幕府を滅ぼし、明治維新に進むのですから誰が予想したことでしょうか。歴史は本当に面白いものです。
ひょうすけさんへ
2013/11/19 08:39

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