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zoom RSS 鐚銭  (ビタセン)

<<   作成日時 : 2010/05/11 00:57   >>

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鐚銭を追う         
                               ノンキーハイカーズ著     

料理屋亭主
「お客さん、料金は3文でございます」

ヤクザ風客
「べらんべェー。
 こんな料理に3文だとォーー。
            鐚(ビタ)1文払わねェゼーーーーー」




 フィンセント.ファン.ゴッホ作の『ひまわり』が目の前にある。


会社の周年記念にいただいたものであるが,明らかにコピーされたものである。

二十数年来同じ場所,同じ位置にあってもあきがこない。

芸術家崩れでもなし,芸術作品を批評する能力も持ち合わせていないし,

何がどうだとも言えないが,どこかいいのである。


こういう芸術作品は贋作にしてもコピー作品にしても,

一般庶民が手元において楽しむものであれば,

それはそれで許容範囲であると自認する。


さらに人々の心を癒し,新たな作品を生み出す原動力にもなれば,

それこそ作者も作品も本望であろうと勝手に解釈する。



 ある日,真夏の白銀坂(しらがねざか)に涼を求めて歩いた。

途中で出会った重富から来たという夫婦の話では,

この白銀坂の下の国道十号線沿いの花倉に,薩摩藩貨幣鋳造所跡があり偽造もしていたらしく、

さらに加治木町にも似たようなモノがあったと聞いた。


 偽造! この言葉は心をときめかせるものがある。

何故かというと,密造酒は製造方法さえ押さえれば簡単にできそうな気がする。

偽造=ニセガネとなると,二の足を踏む思いもするが,それでも好奇心が煽られる。


それに,ニセガネ造りと聞いただけで密かに何かを期待する
悪趣味が脳裏の奥底にあるのも否定できない。


 インターネツトで加治木町と検索し,引き続き見ていくと加治木銭が写真つきで説明されており,
そのさび付き加減に見入られると年代を彷彿するには十分であった。

 さらに進むと,日本鐚銭の代表銭とある。

広辞苑を開くと鐚銭とは,粗悪な銭と書かれている。

それでは粗悪品の代表銭というか。

粗悪というと出来の悪い品に聞こえて,鹿児島県人としてはがゆい思いもするし,
さらに模造品とくれば,そこまで言うかと反感をも覚える。

鐚は金ヘンに悪と書けば益々その思いは募る。

オリンピツクの代表選手でないことは明白であるが,
加治木町に日本の代表格が存在していたことは興味津々といったところだ。

 まてよ! 代表銭といえば当時としては超一級品か,
価値のある存在で,別な視点の捉え方はできないかとプラス思考に切り替えた。

正しく方向付けをすることも,加治木銭に対するせめてもの敬意を表するものと考えたからである。


 そこで,鹿児島県歴史資料センター黎明館に聞いてみた。

加治木銭のことを電話で尋ねる者がいるものかと,疑問と不安が交錯したが,
相手の話し振りと余りの丁寧さにそれは帳消しにされた。

 話によると、中世においては全国各地で製造され,製造地が明確に判明されている銭は加治木銭だけであるということ。

表に『洪武通宝』,裏に『加』.『治』.『木』の三文字のうち一文字が入っているとのこと。

今風ならば郷土の一流ブランド名といったところか。

全国でも出土記録は多く,広範囲で流通していたことが明らかになった。


 その後,黎明館に行き展示ケースにあるその姿に,コン,コン,コンとガラスを叩いてご機嫌を伺った。

他のケースの大判,小判の輝きにはどうしても見劣りするが,
捜していた知人に出会ったようで愛しい気持になった。


 次に加治木町社会教育課文化財係にメールで質問をした。

黎明館の係員にしても,こちらの係員にしても『私はあまり知識があるわけではありませんが』、
と前置きして説明に入るところが識者らしく好感をもてた。

 
 こちらとしたら,加治木銭が鐚銭,ひらたくいえば良銭か悪銭かが判れば言い訳で,
質問内容にもそれを当然取り入れた。


 それによると,一般的に明銭である『洪武通宝』を型写しした鋳型を作り、
この中に溶けた銅を流し込んで造ったとのこと。

この作業を何度も繰り返すとオリジナルの明銭より薄く小型化した銭が出来上がり、
『洪武通宝』という陽刻した文字も不鮮明になるとのことであった。

さらに、現在の偽金というイメージではなく,量の不足を補うものとして製造されたと解釈したほうがいいらしく、
また、『悪貨は良貨を駆逐する』という諺があるが,これは貨幣交換レートの解釈の問題であって,
加治木銭が流通していた時代には良銭,悪銭という取り扱いはなかったと思うと書かれ,
こちらの方がわかりやすく納得した。


 翌日、加治木町郷土館を訪ねて、その足で銭鋳銭所跡に向かった。

イメージとは程遠いセメント造りの角柱碑が傾いて建っていた。


 そっと、あたりを見渡すと、古の銭屋町の人々の金槌を叩く音が、
蝉の鳴き声とともに、響いてくるようであった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
加治木銭、という言葉だけはおぼろげながらに聞いた記憶がありましたが偽金のことだったのですね
今回、それをあちこちに問い合わされ調べられてこうやって記事にされたなんて拍手ものです

私がそれを聞いたには子供の頃でしたのでよく憶えていないのですが、それは単なる贋金という意味だけでなく、生きたお金にはならないみたいな使い方をしてたような・・??

実際にも偽金とおうより量の不足を補うものとして製造されたものでもあったんですね
風子
2010/05/11 10:57
メール友は有難い!感謝!!感謝!!!

『贋金という意味だけでなく、生きたお金にはならないみたいな使い方をしてたような・・??』
そのとおりです。
加治木町郷土館の館長も、
同じようなことを説明していました。
鐚銭は評論家でもいろいろあるみたいです。
古銭を調べていくとはまりそうです。
風子さんへ   ノンキーハイカーズ
2010/05/13 06:51

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